おく農園日記 アーカイブ

私のババコウ栽培⑦ 地球の裏側からやってきた

2022年2月21日

一年中同じ気温の国

日本の気候は年間で激変しすぎます・・・ババコウは夏が苦手
ババコウは春の気候と秋の気候は大好きです。グイグイ伸びます。冬は5℃くらいでは枯れませんが、生育はほとんど止まったような状態です。10℃くらい保温すると成長は継続しています。水をかけすぎると根は傷んで株ごと枯れてしまうので冬期間は水は控えめな管理となります。
でもババコウが本当に苦手なのは日本の夏です。特に7月下旬の梅雨明けした日は一日で葉焼けしてほとんどの葉が落ちてしまいます。ジャングルのように茂っていた大きな葉は無残にも地面に散ってしまっています。樹に着いた実は落果せずにいっぱいついてババコウが裸で立っているようです。こうなる前に梅雨明けが近いころを見計らって寒冷紗などで遮光して葉焼けを防ぐことをしなければなりません。あまり早いうち、梅雨のまっただ中に遮光して日光を遮るとナヨナヨした軟弱な葉になってしまいます。
おく農園では2015年からパパイヤも栽培しているので同じパパイヤの仲間でありながら、パパイヤは夏が大好きでビニールハウスの天井まで届き、ビニールを突き破らんがごとく、夏に大きく成長します。同じパパイヤ属なのに温度に対する性質が大きく異なります。
ババコウの原産地はエクアドルの赤道直下にありながら標高2000~3000mの高地です。以下、エクアドルの気候について調べてみました。

アンデスの気候は一年中、春の気候です・・・ババコウの生地は快適!
中央アンデス地方(SIERRA)  代表都市:キト市、クエンカ市
雨期(10~3月)と乾期(4~9月)に分かれます。赤道直下にありながら標高が高いため年間の平均気温は14~19度で、年間を通じて春のような快適な気候です。
 私のところでのババコウ栽培は夏に暑さでばててしまうのは当たり前で無理な栽培をしていることにほかなりません。30年以上、あの手この手と手を尽くして栽培してきましたが理想的な作りは難しいのが現実です。

1980年代、ネットなどなかった時代でこのようなことは調べようもなく、ただ試作した2本のババコウが成功したため、ババコウにかかわってしまいました。上記のようにエクアドルの気候が事前にわかっていたらやっていなかったのではと思うくらい日本の気候とは大きく異なります。ババコウの声が聞こえます。
「涼しく快適な故郷が懐かしい」・・・と。
エクアドル キトの気温

私のババコウ栽培⑥ ババコウの実の特徴

2022年2月19日

ババコウの実は糖度はやや低めながら、甘酸っぱい独特の芳香と酸味があります。多質汁でビタミンCが多いです。 また、たんぱく質分解酵素を含むので肉食後に食べると消化を助けます。
 朝食や休憩のひとときにババコウの生ジュースは贅沢な気分と さわやかな元気を体内に運んでくれます。
ババコウは暑さに弱く、また寒さにも弱い作物でビニールハウス内の栽培になりますが温度や土壌水分、堆肥で土を肥沃にして栽培し、気を使って管理しています。

食べ頃
緑色したババコウは熟してくると色が抜けやがて、黄色に変わってきます。 実が半分くらい黄色になると 木から落下します。この状態のものをラップやポリ袋で包んで室温で 7-10日おくと全体が黄色になり、 甘い香りがするようになれば食べ頃です。
 ババコウのおいしい召し上がり方
全体が黄色くなったババコウをよく冷やし、☆型にスライス。 塩を少々ふりかけて、なめらかな皮もいっしょに食べられます。 爽やかな酸味でのどがすっきりします。食後や酔った時には最高です。
 縦に2つ割にして、ブランデーやワインをふりかけ、冷蔵庫で十分冷やして食べるとまた格別です。輪切りにしてサラダやピザに入れてもおいしいです。
   
 ババコウの成分分析 (果実100g内)
エネルギー    (12kcal)
水分       (96g) 
タンパク質    (0.8g)
脂質       (微量)
カルシウム    (23.1mg) 
鉄        (0.21mg)
ナトリウム    (0.83mg)  
カリウム     (203mg)  
ビタミンA効力  (80IU)  
ビタミンB1    (0.02mg)  
ビタミンB2    (0.04mg)  
ビタミンC    (21mg) 

ババコウの着色ステージとカット状態

私のババコウ栽培⑤ 日本で唯一 ババコウジャム

2022年2月18日

1971年(昭和46年)農業に取り組み始めて長い間、農業専業で生きてきました。主にビニールハウスでの野菜(キュウリ、トマト)や野菜苗つくりをやってきました。35年ほど前、南米エクアドル原産のババコウというパパイヤ科の果物と出会い、栽培し始めました。主に東京の高級果物店に出荷しましたが、生産量と販売扱い量に大きな誤差が出て、たくさん残ってしまいました。途方にくれましたが、ジャムなど加工という方法もあると教わり、独学でジャムづくりを始めたのが、おく農園の手作りジャムの始まりです。

独学でジャムづくりを始めた
東京の高級果物店にババコウの販売状況などを伺いに行った帰り、デパートや地下街などでこれはと思われるジャムをいっぱい買い込みました。また、ブックセンターや紀伊國屋書店でジャム関連の本をこれも何冊も買いました。ともに重たい荷物でした。
帰宅して、糖度計でジャムの糖度を計り、原材料をチェックし、試食してみました。ジャムの作り方の載っている本は、その部分をむさぶるように読み、その中からジャムづくりの方法を決めました。
日中は農作業がいっぱいあるので、考えながら、本を見ながらのジャムづくりは手間がかかるのでもっぱら作業は夕食後になりました。何回も何回も失敗を繰り返して、どうやらというものができた時、以前からお付き合いのあった南伊豆国民休暇村に販売をお願いしました。ラベルなど手作りで今考えると本当に冷や汗ものでしたが、地元のものということで快く販売していただきました。本当にありがたいことでした。(感謝です)

ババコウジャムからいろいろなジャムにチャレンジ
もともと父母の代は自給的農業でしたからいろいろな農産物がありました。農園には夏ミカン、梅、ゆずがあり、私が作り始めたトマト、キウィフルーツ、ババコウ、グァバ、パパイヤなどあります。農業をやっているとどうしても売れないものがいっぱい出てきます。相場が安くて出荷できないものもあります。

道の駅下賀茂温泉湯の花のジャムコーナー

ババコウをジャムに加工したことで今まで無駄になっていた農産物がジャム変わっていきました。そして南伊豆で取れるニューサマーオレンジ、イチゴ、イチジク、ブルーベリーなども分けてもらい、ジャムも15種類くらいになりました。果物の持っている本来の味わいができるだけ残るように作っています。

私のババコウ栽培④ 原産地では?

2022年2月17日

アンデス(エクアドル)の2000~3000mの高地の原産でパパイヤ科の果物です。 学名はCarica Pentagonaと言い、異種間のパパイヤの自然交配種でエクアドルのある地域にのみ 何世紀にも渡って生育しています。霜の降りにくいニュージーランド北部では外でよく生育しています。

エクアドルから農業国、ニュージーランドにババコウが入ったのが1973年。 それから10年後の1983年、南伊豆おく農園に苗木が入ってきました。

 

最初のおく農園のババコウパンフレットでは上記のように紹介してあります。しかし、私は原産地のエクアドルにも苗木を輸入したニュージーランドにも行ったことがありません。したがって現地でのババコウの生育実態は今でも知りません。

 

ババコウ情報を求めてエクアドル大使館を訪ねました

1989年5月、東京都港区にあるエクアドル大使館を訪ねてババコウの実態を聞きに行きました。

・ババコウはどのようなところに生育しているのか?

・ババコウをどのように利用しているのか?

少しでも話が聞けたらと思ったのですが・・・・。

エクアドル大使館のジョージ パスミーニョ氏(写真)は驚くことにババコウを知らなかったのです。日本人通訳を含めて3人しかいない大使館だったのですが、全員同じでした。まさかの思いでした。外務省の役人はいわゆるエリートで地方の植物(ババコウ)のことなどは知る由もなかったと理解しました。通訳の日本人女性の方はエクアドルに行ってババコウの生育しているところを探しましょうとその際には同行することを申し出てくれました。しかし私には時間もお金も無いのであきらめました。ババコウ情報がありましたら知らせていただけるようにお願いして帰ってきました。

 

エクアドルのババコウ情報が入る 「ババコウは王様の果物だ!!」

2015年、アメリカNY在住の同級生富永正子さんは日本食のデイリ―を経営しています。彼女の店でエクアドル人のホアンさんがアルバイトをしていました。直接ではありませんが富永さんにババコウのことを聞いてもらったところ、ババコウは知っており、大変おいしい果物で「王様の果物」と言われていることを知りました。ホアンさんも日本でババコウが栽培されていることを知り大感激だったそうです。なんと1983年にババコウ栽培を始めてから32年経って初めて、原産地のババコウ情報を知ることが出来ました。

ババコウに対して栽培と販売に限界感があったのですが、ファイトがわいてきました。余談ですがホアンさんはアルバイトで貯めたお金と借入金で家を買ったそうです。異国で働いて家を建ててしまう度量とエネルギーをババコウを通じて知ることが出来ました。

エクアドル大使館 ジョージ パスミーニョ氏と(1989年)

私のババコウ栽培③ ババコウジュースの話

2022年2月16日

ババコウジュースの作り方
材料: ・ババコウ100g ・蜂蜜大さじ1~2杯(砂糖)・塩少々 ・水100cc
作り方: ババコウを細かく切り、水と一緒にミキサーにかけます。味付けはお好みで。

ババコウが生かせるババコウジュース
東京の高級果物店では売れ行きの良くなかったババコウも地元レストランで人気が出はじめました。沈んでいた気持が少し明るくなりました。訪れた観光客は南伊豆に来て、今まで体験したことのないババコウジュースに感動したようです。甘さが少ないというババコウの弱点を補い、さわやかな香りと上品の酸味の長所を生かすことができたのがババコウジュースでした。

ババコウジュースの味わい方
ジュースを作る時に氷も一緒にミキサーに入れ混ぜ合わせると一味変わったババコウジュースになります。わが家の来客にはこのように出すのですが、最近、地元ホテルのシェフと農産物直売所湯の花店長の渡辺さんに出したところ、思わぬ評価が戻ってきました。2杯目に氷を入れずに飲んだところ、ババコウの味、風味が出て、氷を入れないほうが良いと言われました。冷たいのど越しの良さに気を取られてしまうのでしょうか。思わぬ評価にババコウに対する勉強不足を痛感しました。

ババコウラッシー 栄養豊富で最高の飲み物
インドの飲み物でラッシーというのがあるそうです。私は飲んだことはありません。水にヨーグルトと砂糖を入れ混ぜ合わせた飲み物と言われています。海外経験の豊富な東京の知人から水の代わりにババコウを使い、ヨーグルトに混ぜて
「ババコウラッシーにしたら栄養満点」
とアドバイスいただきました。確かに酵素がいっぱいのババコウと乳酸菌いっぱいのヨーグルトを混ぜて飲んだらこれ以上の贅沢で栄養豊富な飲み物は無いでしょう。

ババコウを栽培する前は農業だけの世界にいたわけですが、一つ新しいこと(ババコウ栽培)に挑戦したことで何と色々な素晴らしい体験ができたのでしょう。当時はこのようなことは微塵にも思わず、ただあくせくしていたわけですが、ババコウのことを改めて書き始めて初めて豊かな経験をしたんだと思い返しています。

1985年(昭和60年)新聞に載りました

私のババコウ栽培② 販売は試行錯誤 悪戦苦闘

2022年2月13日

さてババコウを成らせることに成功はしたものの何処に売るのかという話になりました。なんと間の抜けた話だと思う方もいるでしょう。
県の農林事務所の金子普及員とババコウを持って東京筑地市場に行きました。全く見たこともない珍しい果物ということで、そういった農産物の扱いを得意にしている卸しの人を紹介してもらい話をしました。発注方法や値段、送り先など必要事項を決めて、何とかめどが付き、ほっとした帰路でした。

いよいよ東京に出荷を始めたが・・
帰宅後、出荷箱や包装備品など準備しました。徐々に出荷が始まると販売してもらっている高級果物店の担当者から直接電話が入るようになりました。収穫期のババコウがいっぱい取れはじめたのでその旨を伝えると毎月実施している頒布会の中に入れてくれることになりました。日にちを指定され、一度に340本のババコウを出荷する事になりました。1箱に6本しか入らないので50ケースをまとめて送りました。一番困ったのは340本のババコウの成熟度が均一でないことでした。黄色く色の付いていないものはエチレン処理したりして何とか間に合わせましたが、予想通り後からクレームが入りました。(涙)
東京に販売状況を聞きに何回か出かけました。高級果物店やデパートなどババコウがとがった先を上向きに筍の様に並べて販売されており、自分の栽培したババコウを誇らしく思い、また驚きました。しかし順調に販売というわけにはいきませんでした。一言でいえば商品力が無いということにつきます。

余ったババコウはどうする・・・しかし地元で活路!
最初の年から余り始め、それでも翌年も栽培本数を減らして継続しました。キュウリなどの野菜は市場出荷すれば値段の高い安いがあっても全量販売してくれます。ババコウはそのようにはいきませんでした。売れなければ販売先からストップがかかります
販売に苦戦して暗中模索している時、伊豆の地元のレストランでババコウの生ジュースの販売をしていただくことになりました。栽培本数を減らしたことで足りなくなることがたびたびでした。足りないからといってすぐには対応できません。植えてから1年待たなければ増えてきません。思うようにはいかないものです。

東京の高級果物店に並んだババコウを誇らしく

荒地整備して元の段々畑に 雨中に火燃やし 20220212

2022年2月12日

一昨日は久しぶりの雨のため、以前に伐採した木(友人に頼んで伐ってもらった)の枝や篠竹や3mも伸びたカヤなど集めて燃やしました。冬は乾燥が続いて火の延焼が恐いので、久しぶりの雨で合羽を着ての作業でした。カッパの下は汗でビショビショに濡れながら、煙をいっぱい吸って大変な労働でした。
父母が健在のころは草刈り機もなく全てカマでの手作業でしたが、田畑が草で荒れることなく、刈った草は牛のエサに、そして田んぼの堆肥にするため干してから小屋にしまっていました。
私も若い時は草刈り機でひと夏3回くらい刈って全て農地をきれいにしていました。しかし段々に億劫になり、せいぜい1回で済ませてしまうようになりました。ここ20年くらいはイノシシ、鹿、サルなどの獣害がひどくなり、ミカンや栗などはほとんど収穫できないような有様でした。農地も手付かずになり、現状荒れ放題となってしまったわけです。

山間地の我が家は周りが全て段々畑、元々農地だったところでしたが、今や農地に木々がいっぱい生え、山に囲まれた一軒家になってしまいそうです。そこで昔の景観、いろいろなミカンや栗や柿が成っていたころの風景に戻すべく、荒地の草刈り、伐採を始めたわけです。
経済的にはほぼ無意味に近いことになりますが、季節の果物などが成っている景観目指してやっていきたいと思っています。なかなかいい場所ですよ。

荒地の草刈り伐採後、燃やして片づける

私のババコウ栽培① エクアドル原産のババコウが南伊豆で実る

2022年2月11日

長さ30㎝のババコウが地際からずっと上になりました

ババコウ栽培のきっかけは横浜の果樹苗木の輸入業者から試作用として2本のババコウが私の所に入ったことです。昭和58年でした。伊豆半島の南の町村には全国に先駆けてキウィフルーツが栽培されていました。私の所もキウィを10aほど栽培していました。キウィの苗木を導入した業者は日本全国キウィが普及したことに味をしめ、柳の下の2匹目のどじょう狙いでババコウの苗木を配ったものと思われます。1年後、10数本配布した苗木のうち栽培に成功したのは私の所だけでした。ここから私はババコウと縁ができ、以後35年間栽培を続けています。
南米エクアドル原産、ニュージーランド育ちの苗が南伊豆で育ち始めました。地面に接するような低い位置から着果して、大きな実が太い直幹の周りにびっしりと成りました。これは絶対面白いと翌年は1つのハウス全部をババコウに切り換えて栽培を始めました。高い苗木代を支払っての思い切ってのチャレンジでした。しかし、2年目のババコウは多湿の土壌を嫌って次々立ち枯れてしまいました。
ショックでしたが、奮起して私はもう一年栽培してみることにしました。日当たり、排水の良いハウスで、静岡県の新作物導入資金も利用して始めました。堆肥もしっかり入れ管理十分で見事にハウス全部ババコウがいっぱいなりました。

南伊豆おく農園HP リニューアルしてスタートです

2022年2月9日

何年前か忘れるくらい前にHPを作りました。私は今ではとてもできません。しかし、今回プロの助けを借りて再度HPに挑戦することにしました。

私は農業を始めて50年経ちます。ハウスキュウリ栽培のの専業から始まって色々な農業にチャレンジしてきました。キュウリから始まり、野菜苗生産、トマト、セルリー、ナスなどの野菜、そして熱帯果樹系のババコウ、キウィフルーツ、グァバ、最近ではパパイヤなどです。かっこよく見えるかもしれませんが、実はどれも1本立ちできなかったがために色々模索して農業をやっているうちにこのようなことになりました。これらに加えて農園で採れたものを中心に農産加工品として、手作りジャムも生産販売しています。

ババコウは一時、東京方面にも販売したこともありますが、現在はほとんど南伊豆、下田方面で販売しています。ババコウ栽培は日本で最も早く取り組み、現在でも生産販売しているところは私の所のみと思うのですが、始めてから30年近くたっているのに一向に知名度が上がっていません。今回HPを立ち上げる一つの目標としてババコウを広く知っていただきたいとババコウの話をいっぱいして

ババコウ収穫初め

いきたいと思っています。

南伊豆おく農園をよろしくお願いします。

サイトをリニューアルしました

2022年2月1日

サイトをリニューアルいたしました。

また、オンラインショップもオープンいたしましたので、

この機会に是非、ご活用ください。